AKたる日々
AKたる所以を綴る日々の日記。愛するベガルタ仙台が生活の中心です。
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DATE: 2013/02/08(金)   CATEGORY: AKたる日々
母と子
2012年12月23日。
21時49分に母が亡くなった。
享年64歳だった。

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この日俺は自分の生まれの地である東京都中野区へと足を運んだ。
間もなく東京を離れてこの地へと足を踏み入れることもなくなるだろうと思ったので、悩んだ結果向かうことにした。
中野富士見町駅で降りて色んな場所へ行った。

生まれの病院の逓信病院。
病院に行く前に生まれ落ちたマンション。
卒園まで通った幼稚園。
小学二年で転校することになった小学校。
しょっちゅう遊んでいた公園。
幼少の頃は活気にあふれていた商店街。

時間にして二時間程度でほぼ全てを網羅したけど、その全てが懐かしい記憶だった。
この地で生命を授かり、そしてもう一度この地で人として大きく成長するきっかけをくれた東京。
その全てを凝縮したような時間が過ぎていった。

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帰宅してから一時間半くらいしてから父から電話が来た。
時間は16時50分。
母が車に轢かれて重体なのですぐにこちらに飛んでこいという内容だった。
それも恐らく助からないと思う、とも。

あまりに衝撃的すぎる連絡だった。

急いで準備をして最短で実家へと向かう用意をした。
その間に大宮近辺に住む叔父へと連絡を取り、可能であれば一緒の新幹線で移動しようということで合意を取る。
結果、18時54分大宮発の新幹線で一ノ関へ向かい、そこから気仙沼線で向かうことになった。
レンタカーも視野に入れていたが営業時間のため借りられなかったためだ。
一ノ関で30分ほど待ち、21時25分発の電車で気仙沼へ。
22時44分に到着した俺と叔父さんは親族の車に乗って病院へと向かった。

しかしその車中で告げられてしまった。

母の死を。
21時49分に母は息を引き取っていた。

間に合わなかった。
全力を尽くして奇跡を信じていたけど、間に合わなかった。

車はすぐに病院へと到着し、母が待つ病室へと向かった。
そこで俺が見たのは白い布で顔を覆われた母が横たわっている姿だった。
覆われた白い布を叔父さんがそっとあげて顔を確認した。
俺は見るのが怖くて、現実を見るのが怖くて、ほとんど見ることが出来なかった。
ただ溢れてくる涙をこらえようとするのに必死だった。
でも止めることは出来なかった。

それから父から事故の詳細を聞かされた。
16時半頃に父と一緒に乗っていた車から降りて、猫を預ってもらっていた友人の家にお礼の品を届けようと国道を横断しようとした所を轢かれたということだった。
その後に聞いた話ではあるが、事故を起こした運転手と助手席に乗っていた同乗者の女性は聾唖者だったということだ。
ブレーキ痕も残っていなかったという話もあるし、助手席に乗ってた女性と手話とかで会話をしていたのかもしれない。
単純に薄暮の時間だから気が付かなかっただけなのかもしれない。

ただ失われた母の命だけは絶対に変わることはない。
母の命を取り戻すことが出来るなら運転手を殴り殺して刑務所行きになったって構わないよ、本当に。
そんなことが起きないのは分かりきってるからやらないってだけなんだよ。

こうして絶望に包まれた一日は終わった。

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それ以降は忙しさに忙殺される日々が続いた。

25日の午前は通夜祭。
いーさんが現れたのには本当にビックリした。

25日の午後は葬場祭。
AK家は神道なので仏式とはちょっと異なる。

26日の午前は火葬祭。
母を見送る瞬間の辛さと言ったら筆舌に尽くし難い。

26日の午後は直会(なおらい)。
これで一通り葬儀関連は終わって一息。

27日には東京に戻って、28日は職場で最後の勤務。
29日は飲み会やって、30日に新幹線で再び実家へ。
そして1月5日の午前中まで実家に滞在するのだが、そこで体重が一気に増えるという悲劇wと遭遇する。

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母が亡くなったのにあたって、ものすごく数奇な運命じみたものが実は存在した。
俺が生まれ故郷の中野を訪問していたのもそうなのだが、実は22日に俺から見て従姉妹が結婚するということで両親は盛岡で行われる結婚式に出席していた。
その結婚式に行くにあたって親族一同が岩手で前泊しており、そのホテルで色んな流れがあって、結婚した時以来になる両親二人だけのちゃんとした写真を撮影をしていた。
まさかその写真が母の遺影に使われるとは夢にも思わなかったが…。

それだけではなく、結婚式の翌日(=23日)の午前中に母の生家の近くや盛岡のお墓参りなどもしていたらしい。
ことごとく母に縁のある土地をちょうど亡くなる直前にみんなで回っていたことになる。
もしそれが運命に導かれていたのだとしたら、俺がそれに対して抗いきれなかったことに対して悔いが残る。

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母を亡くしてつくづく後悔してるのは、父の言い方を借りれば「命のバトンを繋げ」なかったことであるし、その前段階にも至らなかったことでもある。
俺が一番心配してた兄が昨年二月に結婚をして嫁を見せられたことは良かったと思うけど、弟の俺は何も出来ず母の死に目にも立ち会えなかったということで余計に悔恨の念が残っている。
兄夫妻が到着したのは21時過ぎくらいで、延命治療をしていたもののもうとっくに意識はなかったらしい、
ただそれでも最期を迎える時に母の手を握っていられたことはすごく羨ましくも思っている。
俺は…何も出来なかった。

亡くなる時に何も出来なかった俺に出来ることは何だろう?
そう考えた時に出来ることというのはいくつかある。
それは特に母の血を顕著に引いている俺が命のバトンを渡していくこと。
その他についても実は色々あったりするけど、多分母はそこまで突っ込んだ要求をしてこないであろう。

まずは目の前の自分に出来ることから、一つずつ。
いまさら遅いのかもしれないけど、気付いてからやらないよりはやっておかないといけない。
それが俺に出来る母への贈り物になるだろうから。

母さん、今までありがとう。
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